これからをどう考えていますか?
「これから」について問われることが
最近とても多い。
実況を続けるのか、結婚はどうするのか
など内容は人によって様々だけれど
将来について問われていることに
変わりはない。
自身も、現状の課題というか
いままさにそのこと、この先について
考える時間が長くなっているので
胸の内を読まれているようで
毎回ハッとしてしまう。
もちろん、考えたところで未来は誰にも
分からないしその時々で状況は変わるけれど。
現在進行で進む時間を生きていくなかで
いま目の前にぶつかっていくこと、と
こうありたいと思う未来を思い逆算して
いまやるべきことをやること、という
2つを同時進行でやらなければならない。
似ているようなこともあれば
全く違う分野のこともある。
とにかく、やるしかないのである。
ここ数年で時代の流れは大きく変わって
「個」の世界が広がった。
私はもうすでにフリーランスの生活が
長いので、あまり変化は感じないけれど
もっともっと自由になった気がしている。
ただし、自由の裏には責任がある。
何をしようが自由
でもその責任を取るのは自分。
その表裏一体のなかで私は
自由を愛し孤独と向き合いながら
1日1日を過ごしている。
正直、やりたいことは沢山ある。
喋り手を極めること
スポーツに携わること
この2つが軸ではあるけれど
ここから離れた分野に関しても
やりたいことは山ほどある。
できるできないではなくて
やるかやらないか。
その信念に基づいて動いてはいるが
やりたいことが必ずしも
その先に繋がるとは限らないし
自由の範囲が広すぎて
その広さが時に足枷になるということを
私はここ数年で学んだ。
だからといって自由を諦めたくもないし
選択肢を減らしたくないし
結局は結論としてひとつひとつを吟味し
やってみるしかないのである。
『しあわせはいつもじぶんのこころがきめる』
とは相田みつをさんの言葉だが
まさにその通りだと思っている。
誰かの何気ない言葉に眠れないほど
心を乱されることもあるけれど
自分の軸さえ守っていれば
未来は自身で創っていけると信じている。
ふと気付いたことがある。
「もっとこうなりたい」「こうしたい」
などの欲望や願望が
マイナスに作用している時。
自分の志に反して
焦ったようにもがいてしまう時は
自身が高みを目指しているのではなくて
きっと比較対象があるのだと思う。
無意識のうちに何かを見て比べて
焦燥、ともいえる感情を抱いて
自分を見失ってしまっている。
比べる「対象」自体が
そもそもなくていいのに
自身に矢印を向けていない証拠。
心がかき乱された時は自身に問いかけ
現状を憂いてしまった時は
何が問題で何を解決したらいいか
自身に聴いてあげようと思う。
ただ一度の人生だもの。
もう2月も終わりで
私はあいも変わらずバスケが好きで
現状のままでいいことも多いのだ実は。
花粉で霞む視界の先には
きっともうすぐ暖かな日差しが降り注ぐ。
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